「鬼怒鳴門」はなんと読むでしょうか?
2019年2月24日、ドナルド・キーンさんが96歳で亡くなりました。死因は心不全とのことです。
ドナルド・キーンとはどのような人物だったのでしょうか?
経歴
- 1922年6月18日、ニューヨークに生まれる
- 9歳の時に父とヨーロッパを旅行したことで、外国語に興味を持つようになる。以降、フランス語や中国語、漢字に興味を持つ
- 1940年、厚さのわりに安いという理由で「源氏物語」(アーサー・ウェイリー訳)を購入。その内容に感動した。
- 日本語を学び始めるとともに、角田柳作のもとで日本思想史を学び、日本研究の道へ
- 1953年に京都大学大学院に留学
- 1982年から1992年まで朝日新聞客員編集委員
- 2008年に文化勲章受章
- 2014年に京都名誉観光大使
- 2017年から田原市博物館名誉館長
日本のことを知ったきっかけは、源氏物語より前です。致知出版社のインタビューで以下のように答えています。
あれはたぶん11、2歳の頃だったと思います。子供向けの百科事典に3冊の別冊があって3つの国が紹介されていたんです。オランダとフランスと日本でした。日本の本には太鼓橋や和傘を差す和服姿の女性が描かれていました。そして、その本には大変短い詩が書かれてありました。後で知ったのですが、それが俳句だったんです。加賀千代女の「朝顔につるべ取られてもらい水」の意味が分かった時は1人で喜んでいましたけれども(笑)。
(致知出版社https://www.chichi.co.jp/web/20180918donaldkeene/より引用)
源氏物語に出会った時の感想は
それまで私は日本は脅威的な軍事国家だと思っていました。しかし、この本にはどこか遠くの魅惑的な世界として日本が描き出されていました。いまのヨーロッパとは違う戦争のない世界、短歌という形をとおしてお互いの思いを伝え合う世界。その美しさに魅了されてしまったんです。
(致知出版社https://www.chichi.co.jp/web/20180918donaldkeene/より引用)
と語っています。
「日本」に魅力を感じ、その文学や文化を研究してきたドナルド・キーンさん。その熱意には頭が下がりますし、キーンさんを熱中させた魅力的な日本に生まれたことを感謝したいと思います。
日本国籍取得
2011年3月11日の東日本大震災を契機に、日本国籍を取得し日本に永住する意思を表明しました。実は東日本大震災前から、日本に永住したいという思いを持っていたそうです。
日本国籍を取得した際、戸籍上の本名はカタカナ表記の「キーン ドナルド」としています。
また、日本国籍取得時の記者会見の席上、「人を笑わせる時に使います」と述べつつ、漢字で「鬼怒鳴門」と表記した名刺を披露しました。
この「鬼怒鳴門」は鬼怒川と鳴門を組み合わせて作った当て字で、これで「キーン ドナルド」と読ませようとしたわけですね。
家族
結婚はしておらず、日本人の養子をとっています。
その養子というのが浄瑠璃三味線の奏者である上原誠己さんです。
晩年は誠己さんと幸福な日々を過ごしたそうです。
家族
鬼怒鳴門だけでなく、キーンさんはユーモアを忘れない人物だったようです。
三島由紀夫とのエピソードにこんなものがあります。
三島由紀夫はある時から手紙に「怒鳴門鬼韻(どなるどきいん)様」と当て字を使い始めた。そこで、ドナルド・キーンは仕返しに「魅死魔幽鬼夫(みしまゆきお)様」と書いた。
2人は非常に親しかったそうなので、手紙を見て笑いあっていたのではないでしょうか。
三島由紀夫との関係はこちらをご覧ください↓
また、キーンさんは生前から自宅隣の弘法大師ゆかりの寺に「キーン家の墓」を建ててあります。ここには黄色い犬の家紋が付いているそうです。「黄犬」で「キーン」という言葉遊びです。
本当にユーモアのある方だったことがわかります。
まとめ
源氏物語から日本への興味が増し、日本文学者・日本学者になる
日本国籍を取得し、「キーン ドナルド(鬼怒鳴門)」になる
非常にユーモアな人物だった
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