女性初の何でしょうか?
佐藤(旧姓三木)きよ子さんが2018年10月下旬に99歳で亡くなられました。どのような経歴の方なのか、ご紹介していきます。
日本初の女性国会議員!
1946年に第22回衆議院議員総選挙が行われました。そこに佐藤さんは大阪民本党から立候補して当選し、当時の最年少、そして女性初の国会議員となりました。公約に掲げたのは「食料の確保と1人3畳の住まい」。この時に当選した女性議員は佐藤さんを含めて39名でした。
佐藤きよ子さん死去 99歳 初の女性国会議員、最後の存命者 日照権運動などもhttps://t.co/tY1kO6cAxU
— 毎日新聞 (@mainichi) 2019年2月15日
この選挙は戦後初かつ帝国議会としては最後の選挙でした。2016年10月27日に三笠宮崇仁親王(みかさのみやたかひとしんのう)が薨去 されたため、その時点で存命している最後の帝国議会議員経験者でした。
経歴
- 1919年4月8日生まれ
- 大阪府大阪市出身
- 1936年大阪市立堀江高等家政女学校を卒業
- 卒業後は喫茶店やアパートを経営、戦時中に商工省の官僚と結婚したが間もなく離婚
- 1946年の第22回衆議院議員総選挙に大阪民本党から立候補して当選、26歳の最年少議員に
- 当選直後に経歴詐称が発覚(「大阪府立女専中退」としていた)→禁錮2ヶ月の判決を受け控訴→5ヶ月後に免訴
- 1947年の第23回衆議院議員総選挙に日本自由党公認で、1949年の第24回衆議院議員総選挙に民主自由党公認で大阪2区から立候補したがいずれも落選
- 落選後は朝日新聞の記者と再婚して宝塚市に居住した。
- 1960年代は日照権や建築公害に関する住民運動に力を注いだ
- 西宮、尼崎両市の武庫川河川敷や大阪市西成区のあいりん地区(釜ケ崎)で、ホームレスの人たちに毛布や肌着、食料を届ける支援活動にも取り組んだ
(参考:Wikipedia、神戸新聞NEXT)
様々な闘いを生き抜いてきた方と言えると思います。また、晩年も精力的に活動しておられたようです。
2014年には自伝「日本初の女性国会議員 きよ子・95歳の人生奮闘記」を出版。近年は憲法や女性参政権などの意義を発信していた。97歳だった16年5月、神戸新聞社の取材に対し「憲法は国が押しつけるものではなく、国民のもの。(改憲論議は)一人一人がどうあるべきか考え、憲法を学ばないといけない」と語った。
(神戸新聞NEXTより引用)
言葉の重みが違いますね。佐藤さんの仰る通り一人一人が考えることが重要だと思います。これは改憲だけでなく、政治全般にいえることでしょう。
女性参政権が得られるまで
佐藤さんら初の女性国会議員が誕生するまでには、多くの苦労があったと思います。
そもそも、第2次世界大戦以前の日本には女性の参政権がありませんでした。
そんな中、平塚らいてうや市川房枝らが婦人参政権運動を行ってきました。これが1920年代のお話です。
結局、女性の参政権が認められたのは戦後のことでした。GHQのマッカーサーが行った五大改革の指令の内に、「参政権賦与による日本婦人の解放」が盛られていました。
明確に女性参政権が保証されたのは日本国憲法(1946年11月3日公布、1947年5月3日施行)ができてからでした。
女性参政権が得られるまで
日本初の女性国会議員!当時最年少!
日照権や建築公害に関する住民運動、ホームレス支援などを行ってきた
心よりご冥福をお祈り申し上げます。
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